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後で落ち着いてから、ひのふのと指折り数え直してみれば、ほんの5日のことだったけれど。朝から晩までの一時たりとも、傍らからその気配が退のいたり消えたりしたことなぞ、一度としてなかったことだから。やっとのことにて瀬那の元へ、それも自分の意志から戻って来てくれた白き騎士様なのだというだけで。一大事業を成し得たぞと、万感の想いに胸をいっぱいにしつつ、一足早くもエンディングに入りかかりかねない人物が…約一名ほどおいでだったものの。
「これであっさりと帰ってちゃあ、またぞろ、今晩にでもこの仁王様を攫いにって、あの砂時計が夜這いしに来やがんぞ?」
彼らがその行動の基点としていた王城城下のまさかの真下。随分と深き地下に、穿たれていたのかそれとも何かで埋まったものか、下へと向かって少しずつ、伸びるばかりな旧跡の窟道の暗がりの中に至りし彼ら。その鋭くも鮮烈な気勢と気性をそのまま映したかのような。クールな印象の金髪痩躯を より強かに映えさせる、シャープなデザインの黒衣をまといし黒魔導師さんが。そして、そのお仲間にして封印召喚のエキスパート、それは精悍なアケメネイの導師さんもまた。油断のないまま不敵な表情を冴えさせて、眼力のクロスファイアでそこへと縫いつけたいかのように、強く強く見据えている視線の先には、
「………あっ。」
赤子ほどもの大きさをした、いかにも古めかしい砂時計。この騒動の忌まわしき側面の象徴でもある“グロックス”が、その輪郭やガラスの内部へ収めた砂を、鈍い赤にて光らせて、何の支えもないままに宙空へふわんと浮いている。
「お前様は…あれがどういう風に働くものか、何か覚えているのかな?」
つい先程まで、あの骨董品に魅入られ操られていたという、困った状態にあったお人ご本人へ。他の誰がこうまでスパッと訊けるものかというような、容赦のない訊きようをしたのが蛭魔なら、
「城の私室へ届いたのを見てからこちら。全く覚えはないのだが。」
あの骨董品に限らずのこと、どうして自分が…こんな初見の衣装を着た上で、此処に立っているのかの、その経緯さえ判らないと。そうまで記憶が曖昧なままにあったことを、こうまではきはきと胸を張って言ってのけられる人ってのも他にはないかも知れなくて。あくまでも毅然としている白き騎士殿の凛々しさへ、頼もしいことよのという苦笑が零れそうになった葉柱だったが、
“まあ、自分しか知り得ないことの報告なのだしな。”
別に得意げな訳でも大威張りの自信ばりばりな訳でもない。正確な事実の羅列であり、それへの自信が滲んでの凛然とした態度なのなら、むしろ信用に足るとするべきところかも。それに、虜囚になっていた間のことを、何も覚えていないというのは間違いなく真実だろうし。
“何かとあれこれ覚えていたとしたならば。”
彼のその頑迷さが最も顕著に出そうな“生真面目さ”という部分が黙ってはおるまいとは、葉柱のみならず、蛭魔もとうに気がついてもいて。あの、初日の騒動の最中の再襲撃の場にて。暗示だか何だかの呪縛咒が解け、正気に返ったにもかかわらず。何をさておいても傍らにあって護るべき人である筈のセナを前にして、だってのに…自分こそが一番危険な存在ではなかろうかと素早く断じ、それは冷静に王子の肩を突き放して“遠ざけて”見せたように。融通の利かないほど潔癖なところの強い彼のこと、自分の取った行動を具体的に思い出せる状態にあったとしたなら、
“選りにも選って王子に斬りつけただなんてこととか。”
ただそれだけで、腹なり喉なり掻っさばいてしまいかねないくらいの大罪だと思うに違いなく。まあ、その辺のフォローやアフターケアは、それこそ心優しき王子に任せるとして。
「相変わらずに正体不明の、謎の骨董品…だってか?」
進は王子を護るため、そしてセナはセナで騎士様を二度と再び奪われまいぞという想いから。だが、逃げ隠れをするというのではない、真っ向から立ち向かうぞという意志のなみなみとあふれた眼差しと身構えにて、その怪しい存在へと向かい合い、
「今の今でも、何の気配もないのにな。」
先程、進がひょいと手振りを見せたことでそこに現れた、脚の高い鉄籠の篝火。その炎が明々と灯ってはいたけれど、それでも煌々とと言うほどまでは明るさの足りない、そんな空間にじっとしている、赤い妖光をまといし骨董品は。確かに蛭魔が言うように、悪意も邪気も、魔物や邪妖の持つ陰の気配も、何ひとつ帯びてはいなくて。
「恐らくは、あれ自体に“魔力”や咒力はないんだろうよ。」
「それか若しくは、負世界の存在にしか拾えぬ何かが放たれているとかな。」
単なる小道具、若しくは道標。だから、自分たちも…神聖で邪の汚れには特に敏感な聖鳥のカメちゃん(現在只今は仔猫に変化中)でさえ、こちらの手元に長々とあったそれを、さして警戒しなかったのだし。
「え? でも。」
導師様たちのお言いようへ、セナがちょっぴり不安げな声を出したのは。さっき進が、何もないところから燈台を出すという咒を見せたことを思い出したからで。自分たちが剣を繰り出し合ってた、先程までの辛かった対峙を、カメちゃん以外の存在としてじっと見守っていた怪しい炎は、依然としてゆらゆらと結構な火勢を、鋼の籠の中にて躍らせており。
「さっき進さんがその明かりを出したのは、あの砂時計を使ったからじゃあなかったんでしょうか?」
特に何かしらの咒詞を紡ぐでなく、印も切らぬまま、空気を撫でるようにしただけで、音もなく現れいでてのそのまま、今もパチパチと大きな薪を明々と燃やし続けている高脚燈台であり、
「あ?」
「あれって、進が出したものなのか?」
蛭魔や葉柱からの注目を受けた当のご本人もまた、かすかに小首を傾げつつ、セナを見下ろしているばかりでおり。これでは一体誰のことを取り上げているのやら。これまたやはり、ご本人には心当たりがないらしく、
「進もまた“炎獄の民”の一人であるのなら、そんな能力もあって如るべきってことなのか?」
「さっきまでは眸も真っ赤になってたしな。」
あくまでの事実確認をしているだけで。どれだけ手を焼かされたかの意趣返しとして、揚げつらっているつもりはなかった彼らだし、
「…そんなことが出来たのでしょうか?」
そんな身だったらしい自分だと聞いて、それへと愕然としている…というような気配は見受けられない騎士様だから、これまた頼もしく。
「…頼もしいか?」
「本人の意思ってのを完全に封じ込めてたくらい、余程に強い暗示だか封印だかをかけられていたんだろうな。」
だからこそ、そんな呪縛からの覚醒は、余程のこと はっきりくっきりと何かを振っ切ってのそれだったらしいことも伺えて。
「でも…それじゃあ、咒まで操れた潜在能力とやらは、まだ残っているのかも知れんのか?」
これまでは欠片ほどにもそんな力を感じさせたことはなかった彼だっただけに。炎獄の民の一員としてか、それとも。その身へ負界からも何物をか召喚されんとしていた“殻器”としての素地に、そういう能力が必要とされてのことか。先天的に持っていたものが目覚めただけならまだしも、拉致られた先で勝手に植えられたものだったりするのなら、そのままにしておいて果たしていいものかと、蛭魔が懸念しかかったその矢先。
「難儀な身だと思わなんだか?」
不意な声が立ったのへ、
「…っ!」
彼のみならず、葉柱やセナらも、ハッとしたそのまま素早く警戒のゲインを上げている。自分たちの まずはの目的であった進の奪還こそ無事に成し得たが、それで終しまいじゃあないことくらいは重々承知。今回の騒動は、進自身がその身の奥に何をか宿したとか、何かが目覚めたとかいうのがコトの始まりではなく。彼を必要としていた“企て”を遂行していた存在が…そういう輩の“意志”あってのことという順番であり。此処までの奮戦にて、相手の陣営全てをからげた訳ではないのも承知の上。それどころか、
“さっきの…縄頭と小坊主との会話からして、
奴らをいいように操ってやがった真の首謀者がいる。”
此処に潜みし“炎獄の民”の末裔たちは、どの顔触れだってそれぞれに、自分たちにとっては新天地のこの大陸で、その身をやつしたり隠したり、本当の意思を装ったりしながら、そういう形でも様々なものと戦いながら、必死で生き残って来た者たちに違いない。そんな彼らの中にあり、この自分たちとの直接対峙という場にあって…途轍もなく強力な意志封じの咒やこっちが死ぬ気で掛からねば足止めさえギリギリだった凄腕の武術を操れる、どちらもとんでもない手腕をしていたあの兄弟をさえ押さえ込み、手足のように意のままに御していたほどの存在が、まだこの後に控えているはず。そやつをこそ討ち取らないことには、仏作って魂入れずもいいところ。
“…いや、俺ら仏教徒じゃないんだが。”
そっちこそ、ト書きの揚げ足は取らんでよろしい。(苦笑) そのくらいの覚悟はとうに、腹積もっていた彼らでもあり、
“いよいよの最終決戦、ラスボスのお出ましってやつかよ。”
進が向かわんとしていた先の暗渠に、誰かがいる。そちらにもまた、いよいよと深い闇たちが幾重にも重なっており、ただただ漆黒の空気だけが淀んでいるばかりとしか見えないのに。
「わざわざこのようなところへ運ばれし、陽白のたばね“光の公主”殿とやらも、そしてそちらの…寡黙な騎士殿も。自分たちのありようを、此処まで辿ってきた道を顧みて、難儀な身だとは思わなんだか?」
滔々と紡がれし声には、しわがれた老いこそ滲んでいたが、それでもその主張を支えて有り余る、強靭な張りが通っており。咒力腕力、どちらへも優れていたればこその此処への到達。そんな剛の者らを前にして、まだまだそうまで気丈なところは、年寄りへのいたわり分を上乗せしての、高値で買ってやってもいいけれど、
「暗がりに隠れてねぇで、姿くらい見せたらどうなんだ、ご老体。」
恥じらう年でもなかろうよと、相変わらずに不遜な物言いにかけては無敵な蛭魔が…これでも彼にしてみれば、結構敬った言い回しを選んだらしい声をお掛けしたところが。
「…あ。」
そちらで…何かが動いた気配が確かに立って。暗がりだから具体的な何かが見えた訳ではないけれど。さして力むこともない、ちょっとした所作なのだろうに、そこから広がった余韻のようなもの。例えるなら、鏡のように止まっていた静かな静かな水のおもてへぽつりと落ちた、ほんの1滴の雫の織り成した波紋が。思ったよりも強いまま、観察のためというほどにも距離を取っていた筈のこちらまで、今にも届きそうな勢いでするすると寄って来そうな、そんな。思いも寄らないほどもの伸びを見せ。
「…っ!」
「ちびっ!」
後から駆けつけた自分たちよりも相手側にいた、主従二人を狙ってのものかと。ハッとして地を蹴った導師たち。もっと間近へと寄り添うて両腕を広げ、ガードを固めたのが葉柱ならば、彼らとその妖しき波動との狭間に割り入って、その身を楯にせんと踏み出したのが蛭魔であったが、
「あ…っ。」
そんな頼もしいお二人の、立ちはだかった…その隙を。まんまと縫って掻いくぐり、ふわりと至った何かしらの波動。強い攻撃の精気を孕みし何かではなかったからこそ、そんなまで柔軟性のある侵入浸透が可能だったということか。だが、その気配、彼らへと何かを及ぼすものではなかったらしく、
「…っ?」
篝火の赤々とした焔の色かと思えたほどに、気配なく紛れていたもの。辺りの窟壁や主従二人の足元なぞに、ほのかに散って光ってた、仄かに赤みを帯びた粒があり。それをこそ目当てに浚うとそのまま、今度はその赤みを帯びた、風のような気配が来た方へと戻ってゆくではないか。そして、
「俺らの親には、そやつの魂のかけらを封じたと言っておったらしいのにな。」
今度は後方。自分たちがやって来た側からの声がして、
「今の仕儀はどう見ても、浄化されたことによりそやつから弾き出されし何ものか、回収したとしか思えんのだが。」
足音もさして響かせず、見やった姿には…肩での急くよな呼吸という風情もないままの、静かで落ち着いた態度での仁王立ち。こうして並べると確かによく似た顔容かんばせ同士の兄弟二人、遅ればせながらに追いついたと見えて。
「どうやら話はついたらしいな。」
そんな彼らの少しほど後方。自分たちのお仲間、桜庭の顔も見えたることから、状況の急転という故ゆえあって居残らせた彼らの間での話し合い、こちらへも善い方向へと収まったのが知れたけれど、
「勝手で悪いがお客人たち。
此処からの仕儀、我々に委ねてはいただけまいか。」
その両の手へ差し渡し、がっきと構えし強靭そうな棍棒を越えた先。窟内へ垂れ込める闇を見据えての、スキンヘッドの方の彼の言いようへ、導師らが怪訝そうに目許を眇めたものの、
「我らもまた、敵を討たねばならぬ身。これまでの不明と失態を雪そそぎたくてのみの、逸りではありませぬゆえ。」
その視線はもう動かぬのか、前方を見据えたままの彼であり、そして。もう一方の青年もまた、先程は蛭魔と桜庭を手古摺らせ翻弄しまくっていたサイを構えての、補佐と回るか“隋陣”の構え。
“…これはまた。”
よほどのどんでん返しがあったらしいなと、今度は訝しげではなく感慨深げに目許を眇めた蛭魔であったりし。静かな窟道には、堅く張り詰めた空気が音もなく、その密度を高めているかのようであった。
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*ここからももうちょこっと小理屈が続きます。
この蒸し暑いのに、すいませんです。 |